フォロワーシップという考え方
リーダーには、リーダーシップが求められる。
でもその前にそもそもの話として、リーダーは、フォロワーがいないと成立しない。
したがって、リーダーシップが必要な場面では、必ずフォロワーがいるということになる。
リーダーシップというのは、あるべきリーダー像に求められる何かしらの要件を取りまとめたものであると考えられる。
当然、フォロワーにもあるべきフォロワー像というのが存在すると思う。たとえば、組織の構成員たるフォロワーが、その組織の方向性を理解しないで好き勝手動いていてはいけないわけで、フォロワー像に求められる要件の一つは、「組織の目的を理解して、それを最適化すべく動く」ということだと思う。
こういった要件を取りまとめると、それはきっと何らかのリストになり、それらをまとめてフォロワーシップと呼んでも問題ないと思う。
だから、リーダーシップが必要とされる場面では、フォロワーシップも不可分的に必要とされる。
ところでフォロワーシップというのは、特にトレーニングをしなくても身につくものだろうか?トレーニングをしなくても、ある構成員となることで自動的にあるべきフォロワー像を体現するフォロワーになれるのだろうか。
たぶん、そういうものではないと思う。
とすると、何かしらの人為的な習熟機会の設定が必要である。が、リーダーシップと比べると、全くもってそういうトレーニング機会は小さい。リーダーシップ研修というのは聞いたことがあるけれど、フォロワーシップ研修というのは聞いたことがない。amazonで、「リーダーシップ」と検索すると7,603件がヒットするが、「フォロワーシップ」と検索すると、64件しかヒットしない。
でも、世の中の大半の人は、フォロワーであるはず。会社でいえば平社員は当然フォロワーであることに加えて、課長、部長、役員、副社長までは、社長のフォロワーである。社長だって、どこかの業界団体の一員になればその団体長のフォロワーである。
とするならば、世の中、もっとフォロワーシップというものに焦点を当てたほうがいいんじゃないかと思う。フォロワーシップという言葉を使うかどうかは別として、例えば「自身が所属する組織のパフォーマンスを最大化するために、どういう行動様式を取るべきかを考えて行動する」というのは、組織にとって、リーダーのみならずフォロワーも含めて全員が認識しておくべき点であろうし、これによって組織のパフォーマンスは変わってくるだろうから。
フォロワーシップの重要性とその体得がなされると、これは一企業だけの話にとどまらず、日本の政治も変わるのではないかと思う。なぜならば、フォロワーシップのおそらく重要なポイントの一つは、「自分が所属する組織に対するコミットメントと当事者意識を持つこと」だから。そして、これを選挙民が意識するかしないかによって、その国の政治は大きく変わると思うし、日本ではこの意識は高いとは言えないから。
国民が、国の政治に対するコミットメントと当事者意識を持つ国と、そうでない国のどちらがいいか。少なくとも自分は、前者のほうがいいと思うし、なので、フォロワーシップという考え方にもっと焦点を当てたほうがいいと思う。