ノームチョムスキー

アメリカの言語学者でもあり、政治思想・批評家。

今日のメディア論の授業では、彼の映画「Manufacturing Consent」を通じて、メディアが如何に時の政治思想を広めるためのプロパガンダとして使われているのか、を学ぶ。

メディアと政治の構造は単純
1.メディアのトップは、政治のトップとルーツが近いことが多い(どちらも、エリート層)。
2.メディア側からすれば、政治家にそっぽを向かれてしまえば、情報は取れなくなるし、最悪免許はく奪もあり得る(基本的にメディア産業は規制産業ですから)
3.したがって、メディアは政治家におもねるような報道が基本的に多くなる。政権批判を行うことはあっても、政治家にとって「本当に」都合の悪いことは言わない。

3点目で重要なのは、テレビが政権批判を仮にしたとしても、それは政権サイドに立つか、反対の野党サイドに立つか、というレベルでしかない。ただ実際には、政権サイド、野党サイドのどちらも、共通の暗黙の了解・前提条件にのっとったフレームワークの中で議論がなされていて、それを超えた論点というのは、自国の政治にとって「都合が悪い」から、しない。

具体的には、「韓国海軍の哨戒艦沈没事件」において、北朝鮮の言っていることが正しいという可能性も、論理的には十分あり得るし、その可能性が否定できないということが、アメリカでは報道されている。
http://www1.voanews.com/english/news/asia/US-Professors-Raise-Doubts-About-Report-on-South-Korean-Ship-Sinking--98098809.html

だけど、自分が日本にいないからかもしれないけれど、その観点から報道なり検証が「本気」でなされたことは、無いのではないか。別に、実際にどちらがやったのか、ということをここで問題にしたいのではなくて、こういう視点からの報道が無いというのが、「政権サイド、野党サイドが嵌っているフレームワーク(=米国、韓国の言っていることが正しくて、北朝鮮の言うことなんて何一つ信用できない)」の外からの視点が欠けている、という意味。

ちなみに、なんで日本の中学・高校では、こういうメディア論って教えないんだろ。世の中のニュースには、中学生、高校生から触れるんだから、こういうことはきちんと教えておかないといけないと思うのだが。