アフリカの拡大家族プラクティス

来週末のテスト科目の一つ「intercultural management」という分かるような分からないような科目で与えられた参考文献を読んでいます。その中の一部を抜粋の上、要約します。

アフリカでは拡大家族を、自分の親族・親戚はもとより近くの家の人も含めて家族と捉えており、幼い頃から拡大家族の一部として育ち、面倒を見てもらう。
その結果、いざ就職すると今度は、その拡大家族に対して恩返しをしなければいけないと、本人も思うし、回りもそのように期待する。そして、個人の裕福さよりも、拡大家族としての裕福さが優先され、本人はその拡大家族にとっての「エレベーター」としての役割を求められ、長く苦難な道のりが始まる。すなわち、本人の親兄弟、遠い従兄弟、同郷人、配偶者の家族、さらにその友達などなどから、常にお金をせがまれることになるのだ。
これは難しい選択を本人に迫ることになる。拡大家族への贈与を拒めば、本人とその家族は非難にさらされ、村八分扱いされ、報復の魔術をかけられることになる。もし贈与を行えばその社会的な債務を永久に支払い続けなければいけなくなるし、その結果本人は長い間困窮を強いられることになる。「社会的な債務」と書いているが、贈与は給与だけではまかなえない額になるので、実際に金融債務を負う傾向が強い。債務については、街中のブラックマーケットから借金をすることも多く、その場合の金利は月50%にのぼることもある。
ZADI KESSY, M (1998)L'entreprise moderne face aux blocages culturels, Culture africaine et gestion de l'entreprise moderne, Abidjan, CEDA

この文献が書かれたのは、1998年のことですがこれは今でも本当なのだろうか。。。拡大家族という概念や、みんなで養うという構造は今でもあると聞きますが、そのために消費者金融から多額の借金をするなんて。。。

しかしこれが本当だとすると、途上国における援助慣れというのは、二国間援助云々ではなく、そもそもの社会的な成り立ちに起因するものということになる。上記の構造は、言い換えると「がんばらなくても誰が助けてくれるし、がんばったとしても他の人を養うために自分が困窮に苦しむ」ということであり、「じゃあ、がんばらなくてもいいか」という姿勢に直結するのではないか。

今でもこういうことが一般的なのか、クラスメイトに聞いてみようと思います。