オルセー

ルーブル行くぞ!と思いながらメトロに乗って、何となくガイドブックを観たら、

なんと、本日お休みじゃないですか。


イケテナイ。

まああと1日半あるし、明日は開館時間が長い(いつもは18時で終わりなのが、明日水曜日は21時半まで開館)ということで、明日の楽しみにとっておくことにして、今日はもともと行きたかったオルセーへ。

オルセーは、先日のブログでも書いたとおり日本で展示会をやったときに一度観ているのですが、そのときの印象が良かったのでもう一回観たいと思って楽しみにしていました。

そして、結局今日の午後一杯、閉館時間ぎりぎりまでをこの美術館で使ってしまいました。いやー、楽しかった。

まずはじめに、英語のツアーに参加してレアリズムから印象派までの流れを把握した後、一人で印象派以降の作品と、印象派以前の作品で面白そうなのをじっくりと眺める。クロード・モネの「ルーアン大聖堂」の連作やギュスターブ・カイユボットの「床に鉋をかける人々」やポール・ゴーギャンの「アレアレア」、ジャン・フランソワ・ミレーの「落穂拾い」が絵画としては個人的にヒットしました(ちなみに、ミレーの「落穂拾い」の前にはほとんど人がいませんでした。きっと日本でオルセー展をやってミレーの「落穂拾い」を持ってきた日には、山のような人だかりが出来ると思います。こういうのをじーっくりと眺められるのも、海外でオリジナルの美術館に行く一つの楽しみですね 笑)。でも、今回一番のヒットは、ギュスターブ・クールベの「オルナンの埋葬」と言う作品。これは、小さな田舎町の埋葬の様子を描いた作品なのですが、絵的に優れているだけではなくて、そこにこめられた作者のメッセージ、想いがよかったです。どういうことかというと、、、

この絵が描かれた時代である19世紀中ごろの絵と言うのは、以下のような「条件」を満たしていないと評価されませんでした
・作品に出てくる人間は「完全」であること(要はすごいキレイで、かっこよくないといけない、と)
・作品の中に以下のテーマを示唆するものが含まれていること
 ・宗教
 ・神話
・細部にいたるまで正確に描かれていること

ところが、「オルナンの埋葬」というのは、
・普通の街の
・普通の埋葬を
・一部ぼやかして
描いているんですね。ということで、全く上記の条件から外れている、と。

これだけなら「当時は絵画の権威から評価されなかった」というだけなのですが、当時は、絶対王政の時代にあったので、王や神が一番上にいて、それ以外はその下にいるべき、ということが政治権力の強い思いだったということを付け加えると、この絵と言うのは、「神がいるべき高い場所(絵画)に民衆を置くことによって、『この世で一番えらいのは別に神でも王でもなく、一般市民である』」という強烈な政治的メッセージを発することになります。さらに、この絵の真ん中には墓穴が掘られていて、その周りに聖職者・男性・女性と当時は全く別の社会的地位を持った人が集まっていて、「結局、みんな最後はこのちっぽけな穴に入る、同じ存在なのだ」ということも表現しようとしています。

彼は、当時の絵画の流れは当然理解しているし、それをカバーするだけの能力はあるのですが、あえてそれを外して、自分の信念をアピールしている、その姿勢がかっこいいなぁと思いました。

なおこの絵は、寄贈者の意図によりパリから動かされることは無い代物なので、パリに来られた際にはオルセーに立ち寄ることをおススメします(笑)