お金について考えたこと。

夕食後、ベッドで寝ながら、考えました。
お金があっても、幸せでない(と感じている人が多い)日本人と、お金が無くて、大変だけど、幸せと感じるセネガル人。
セネガルにビジネスを持ち込んで、セネガル人がもっと働いて、お金を稼ぐようになったら、どうなるんだろう、と思いました。
お金が無くても、大変でも、幸せだったら、それでもいいんじゃないかな、と。
ビジネスを持ち込んで、生活習慣が変わってしまって、家族と接する時間が少なくなってしまったら、お金は増えるけど、幸せの度合いは減ってしまうのではないか。
今すでに幸せだと感じている彼らの生活を、途上国開発援助と称して、生活を変えてしまうのは、いいことなのか、悪いことなのか。
全然分かりません。
少なくとも、今自分の中で言えることは、
1.最低限の公衆衛生、医療は与えられるべきである。
どんな人だって、先進国だったら治る病気が、医療水準の低さによって治らずに死んでしまう、という状況は避けたい。
2.最低限の教育水準に関しても与えられるべきである。
より多くを知ることは、より多くの選択肢を持つことになる。選択肢は、少ないよりも多いほうがいいでしょう。(多くなった結果、現在よりも幸せのレベルが下がる選択肢も増える可能性があるし、そっちを選ぶ可能性もあるけど、それは自己責任でしょう。)
この2つの最低水準に基づいて、彼らの自助努力によって生活習慣が変わっていくのであれば、それはあくまで彼らが選択したことであるから、とやかく言う筋合いは無いと思うし、それが正しいと思う。
開発援助などの外的な力によって、「変わる」のではなく、「変える」という行為は、相当慎重になるべきだろうし、極小化されるべきだと思う。
もっともっともっと勉強して、自分なりに整理をつけて、どういう形かは分からないけど、こういうことに携わった仕事をしたいと思います。