インターネット。もしくはコンピュータ教育

途上国も、ごたぶに漏れず、コンピュータの使い方、とくにインターネットの使い方を教えることを積極的に推し進めようとしている。アフリカでも、光回線が大陸間及び大陸内で敷設され始めていることがこれを後押ししている(たとえばカメルーンでは、主要都市間を横断する3200kmのバックボーン回線を敷設中 by 中国)。

インターネット教育によって、その存在を知り、使い方を知ることで、情報のインプット可能量は格段に増える。結果、従来と同じ目的に達するのに、考えなければいけない負荷が減る(他の人が、同じ目的に達するために考えたことを、ネットで検索して見つけられるから)。

これはこれでいいけれど、これで終わってはいかんと思う。

インプットが増えても、考える負荷をキープして(もしくは高めて)、これまでよりも多くの価値を生み出すことがあって初めて、インターネットの利用価値が出てくるのだと思う。

例えば、あさがおの育て方について。

これまでの小学生は、教科書や学校の先生から教わった方法で、あさがおを教えて、育てて、その観察日記をつけることで、植物を育てるというのはどういうことか、植物を育てるには何が必要か、植物が育つ過程はどういうものか、などなどを学んできた。

これに、インターネットでしか得られない情報、例えば、他の人のあさがおの観察日記を新たなインプットとして付け加える。要は、他の人のあさがお観察経験を、体験せずに自分の頭に入力する。
この時点で、従来のあさがお観察日記の目標は、ある程度達成できてしまう。でも、これで終わって、同じようににあさがお観察日記をつけるだけだと、インターネットが使えたことによる付加価値というのはあまり無い。

他の人のあさがお観察日記を踏まえて、例えば、違う育て方をしたらどうなるのかとか、より分かりやすい観察日記の付け方はあるのかとか、そういうストレッチがあって初めて、インターネットの付加価値というのが出るし、大げさに言ってしまえば、人類の「進化」につながるんじゃないか。

インターネットの使い方を教えるときには、こういうことも教えないと、考えない子供が増えるだけだろう。そしてそれは、これからみんなで知恵を絞ってがんばっていかないといけない途上国にとって、長期的に見て回復しがたいダメージを残してしまうと思う。

そうでないことを祈る。