W杯準決勝をCanal+で観て思うこと

ドイツ=スペイン戦。ドイツは、「引いて、カウンター」というのがパターンだと思うのだけれど、この前提として、「相手が上げ気味で、かつ守備陣がそれに応じて薄い」かつ「ドイツのカウンターは十分早くて、相手の守備陣が引く前にゴール前に達せられる」ということがあると思うのだけれど、今回のスペインはその前提が当てはまらなかったような気がする。だからドイツは中々攻められず、そうなれば結局は攻められる数が増えるドイツの戦略はどうしても厳しくなってきて、最終的にやられてしまった。

という内容は置いておいて、今日思ったのは、「TVの解説は無いなら無いなりに楽しめるし、知りたいことは自分で調べられる」ということでした。今回のW杯はフランスのケーブルテレビ局のCanal+で観ています。試合中に当然解説はあるのですが、フランス語。ものすごく気合を入れて聞けば、その解説もそれなりに理解できるのですが、そんなことをすると映像に注意が向けられなくなるので、基本的には解説は全く聞いてない。ということで、実質的には全く解説無しで、試合の音だけで観戦している状態なのですが、それでも十分楽しめる。

そもそも、解説もよくよく聞いてみると、ボールを持っている選手の名前を言う+αくらいのもので、あまりしゃべっていない。戦術面の解説などはむしろ、サッカーの試合の後続番組でかなり詳しくやる。

こう思うと、日本のTVというのは、解説があまりにもしゃべりすぎなのではないかと思うし、これはあまり良くないのではないかと思う。試合中にあまりしゃべりすぎると、試合への注意が損なわれてしまう(言い方を返れば、「ウザイ」)。試合中だから、解説の分析レベルも当然低くなる。だから、あまりいいことはないような気がする。試合中は、試合に集中させるような最低限の解説をして、その後で詳しいことを知りたい人向けに、マニアックな戦術面の解説を思う存分やれば良いのではないかと思う。

これは日本人の「とりあえず情報をたくさん詰め込むことが善である」というメンタリティーが元になっているような気がする。今まで、外資系2社、国内企業2社で働いてきたけれど、情報収集・分析のスタンスとして、外資系2社は「論理的に説得するためのロジックとして必要な情報を調べる」というものであったのに対して、国内企業は「何を聞かれるか分からないから、周辺情報も含めて調べられることは全部調べる」というものだったという感触を持っています。前者だと、情報のスコープは狭いけれど、情報の深さはある。後者だと、情報のスコープは広いけれど、情報は浅い。情報量は、単純な収集量については、前者<後者だけれど、分析後の洞察量では前者>後者。前者で情報のスコープが狭くて済むのは、関係ない質問をしてきた相手に対して「それは関係ないでしょ。何でそういうこと聞くの?」というスタンスが取れる(実際にはこういう言い方はしないけれど)に対して、後者では、関係あるなしにかかわらずとりあえず答えないと「こっちが悪い」ということになってしまう。したがって、(相手があることなので)どちらが良いか悪いかは一概には言えないけれども、「とりあえず何でも拾う」、言い方を変えると「失点を少なくする」「八方美人」というのが、日本人としての、情報提供に対するメンタリティーなのかもしれない、と思うと共に、サッカーのTV解説にもこういうのが出ているのかも知れない、と思いました。