器(うつわ)

ふと、今日の朝思ったのですが、自分って、器が、ちっちゃい。喜怒哀楽が、激しすぎる。激しいのは、百歩譲ってOKとしても、それを表に出してしまうところが、ダメ。
自分の中での、「器」の定義は、器の「大きさ」と「場所」に分かれています。
「大きさ」は、「現実生活で起こる出来事を、どれだけ冷静に捉えて、対処できるか」です。
なので、器がちっちゃいと、ちょっとしたことでいっぱいいっぱいになる。器が大きければ、その大きさに応じて、どんな出来事でも対処ができるようになる。
「器の場所」は、たとえば、「大人⇔子供」という軸と、「まじめ⇔グータラ」という軸で構成される二次元の平面を考えて、そこに器をおく。それを上から見た場合に、自分の守備範囲が、どこになるのか、ということ。
この二つをあわせたものが、自分にとっての「器」です。たとえば、ものすごく(大人、まじめ)なところに小さい器を置くのか、はたまた、(大人、まじめ)よりではあるのだけれど、大きな器を置くのか、ということ。大きさと場所で、その人の「器」が決まる。
器が大きくなると、守備範囲が広がってきて、現実生活における出来事に対して対処できる幅が広がる。と、同時に、そういう人は、一人の中でいろいろな性格、性質を内包するようになるのだと思う。たとえば、(大人、まじめ)なんだけど、器が大きいので、(子供、グータラ)の方にも守備範囲があるとすると、「一見大人っぽいんだけど、子供のような心を持った」人になる。
そういうギャップを持つ人というのは、自分の中に矛盾する価値観を内包しつつも、トータルではバランスが取れる、ということになると思います。そういう矛盾するものを自分の中で折り合いをつけて生きていくというのは、大変なことだと思うけど、そういう大変な思いをした人だけに与えられるのが、「器の大きな人」という称号だと思います。
大変なことかもしれないけれど、そんな器の大きな人を目指して生きて行きたい、と思います。