ZATOICHI 今日の夜9時から、Star Channelにて。

日本で、一度見ました。公開初日の、新宿歌舞伎町ミラノ座。

                                                                                                      • -

前売り券など買っていなかった。当日券を持った人の長い列が出来ていたけれど、どうしても見たくて列に並んだ。列に並びながら、当時読んでいた本は、国際会計基準に関する本だったことを今でも記憶してる。中小企業診断士の2次試験が終了して、とりあえず次の目標を探していた。合格していてもしていなくても、もうこの勉強はしなくていいやという気になっていた。もともと資格に興味があったわけではなくて、幅広い経営に関する勉強がしたかったのが勉強開始の動機だったし、なんと言っても、あれをもう一度繰り返すのは、しんどかった。

当時、映画を一人でみるのが、好きだった。休日にふらっと新宿にでて、紀伊国屋の中を1階から7階まで、2,3時間放浪して、大体2,3冊の本を購入する。当時、「一冊、仕事系の本を買ったら、もう一冊は全然関係ないものを買う」というルールを自分の中に決めていた。なんとなく、偏りをなくしたかったのだけれど、結局はビジネス、政治、経済、金融系に流れていた気がする。小説は、面白そうだったけど、どうも惹かれなかった。

当時は、感情的な起伏があるような、ないような、変な感じだった。それまで、モーレツな(といっていいと思う)情熱をかけてた診断士の勉強が終わってしまっていたし、仕事には既に興味がなくなっていたし、これといって目指すもの、燃えるものがなかった。だから、普段は、凪の海の状態。

ただ、時折、ものすごく寂しく、悲しくなることがあった。瞬間的に、激しく時化が訪れる。
何がつらいのか、全然わからないのだけれど、急に誰かと話して、飲んで、無条件に泣きたい、そんな脆さを持っていた気がする。

おそらく、何かしら自分が熱中できるモノなりヒトなりを、自分の本能が欲していたのだと思う。欲しているのに、何もないし、何も見つからない。そんな状況が自分を危うくしていたような気がする。

新宿の街をふらふらと歩いて、おびただしい数の情報を頭の中をスルーさせることで、そんな空虚を埋めていたような気がする。だから、新宿の街をさまようのが、とても好きだった。

本を読み漁るのも、好きだった。

映画を見るのも、好きだった。

でも、空虚さを満たすことは出来なかった。

そんなときに、座頭市を見た。

映画を公開初日に見るということをしたことはなかった。混むのは分かってるし、映画は、いつ見ても、変わるものではないし、逃げるものでもない。

ただ、自分の空虚な部分を埋めてほしい。触れ込みの「爽快感」で、自分の何かを変えてほしい。そんな思いで、座頭市を見た気がする。

むせ返るほどの熱気の中で、2時間あまりを過ごした。

結局、その空虚さを埋めることは出来なかった。むしろ、期待を下回っていたので、少し落ち込んだ気さえした。

でも、少なくとも、あの映画を見たことで、当時の風景、気持ちが、自分の中に焼き付けられた気がする。

そして、あの映画を見たということは、今の自分をして、こんな感傷的なBlogを書かせる。映画自体の評価云々以外に、何かしらの影響が自分にもあったんだと思う。

                                                                                                      • -

そんなことに思いをはせながら、今日の座頭市を見ることにします。今は、当時のような空虚さはないけれども、それなりに「次の一手」と「燃えさせてくれるもの」を探してる自分がいると思っています。どんな感情の揺さぶりを与えてくれるのか。当時のことを思い出しながら、日本酒と、サーモンを片手に、見てみることにします。